おたより
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手記 「母親 ママ」
母親 ママ
(私は母を"ママ"と呼んでいたのであえてママと書かせていただきます)
私のママは2001年9月10日、あの恐ろしいテロ事件の前の日に死んだ。あれから約半年が経つ。今でも、その日救急車を呼んで、一緒に乗りこんだ車内でのこと忘れられない。わたしが初めてママの死と言うものを頭でなく、体で感じ、車内で繰り返した “懺悔” と “ごめん・・という謝り”。子供と言うものは、本当に愚かなものだと思う。(わたしだけかもしれないが)。
私がこのことを痛感したのは、わたしの友人の流産の体験を聞いたことからだった。友人は言っていた “こんな大変な思いをして産んでくれた母親は本当にすごいよ。偉大だよ” “子供はそれになかなか気づかないけど・・・”
わたしのママもわたしたちを産んで、ここまで大きくしてくれた。でも、今ふと思う、私はどれだけ"病気の深刻さ"を理解していたのだろうか?私は子供という立場に甘んじていただけではないか?
わたしは、ママが大好きだった。私のママは学問的ではなく、生活の知恵と言う意味に於いて頭がよく、きちんと物事をあるがままに見る人だったと思う。未熟なわたしのよき先達だった。ママが病気になり、わたしが午前中家にいた約4年間、本当にいろんな話をした。わたしもまだ若く、自分自身が未熟であったため、ALSの患者としてではなく、家にいるママと話をすると言う感じだった。(その時は、ママはまだ普通に話はできたが、手の上げ下げは出来なく、歩くのも多少困難な状態だったと思う)ママとの話は、本当に私にとって有益でその時のあたしにとって必要なものだった。
佐々木秀雄さんのサイト「佐々木ひでお・花の詩画 展示館」の紹介です
秋田在住の佐々木秀雄さんからメールをいただきました。
日本ALS協会 茨城県支部の皆様へ
先日、貴会のホームページを拝見させていただき、闘病する皆様のことを正直はじめて知りました。 日々、病苦を乗り越えながら家族や仲間の皆さんと励まし合いながら希望を持って生きている皆さんの姿に心打たれるものがありました。
私は昭和49年、24才の時に交通事故により首の骨を折り、手も足も不自由となり以来、車イスの生活を送っています。皆さんとは、病名も症状も異なりますが、しかし重い障害と闘いながら懸命に毎日の生活を送っていることは共通しています。
佐々木さんは、この度ホームページ「佐々木ひでお・花の詩画(しいが) 展示館」を開設されました。
ホームページでは口に筆をくわえて描いた絵と、綴られた詩の作品が公開されています。 闘病生活を送りながら、佐々木さんが感じた想いを詩画として表わしています。 繊細なタッチながら色彩豊かで力強く描かれた花の絵と優しいことば。 希望となつかしさを覚える作品です。
佐々木ひでお・花の詩画 展示館
ホームページは こちら
https://web.archive.org/web/20160304210402/http://homepage3.nifty.com/sasakihideo/
皆さんに紹介したく佐々木さんに承諾をいただき、メールを引用させていただきました。